今年も、物語は紡がれる。
東京優駿2024。
悔しさ
―思うようにいかなかったり、辱められたりして、失望したり、腹立たしく思ったりするさま。
悔しさを抱き、至らなさを見つめ、それを正し、高める。このサイクルの果てで、人は一歩前へ進める。
武豊にさえダービーを勝てない時期があった。福永祐一や川田将雅にも。
彼ら以外でも、横山典弘、C.ルメールといった日本を代表するような騎手や、J.モレイラ、L.デットーリ、D.レーンといったワールドクラスの騎手、トップと言われる騎手たちは、もしかすれば生まれ持ったセンスはあったかもわからないが、それでも、生まれた時から今の彼らだったわけではない。失敗や挫折が己を見つめる契機となり、それを糧に、ひとつづつ階段を登っていった。その過程では、すんでの所ですり抜けた栄誉も、越えられないような壁も、強大なライバルも、涙も、別れも、間違いなくあった。そうしたものも乗り越え、むしろ己が血肉として、彼らは今の地位へと上り詰めた。
彼らが彼ら自身を築いていく原動力のひとつが「悔しさ」だったことに、疑念を挟む余地はあるまい。
ダービー戴冠
その栄誉へと至る道は、まさしく悔しさ、失敗の積み重ねであると言えよう。
幾度となく涙し、打ちひしがれ、誰もが通り抜けられるわけではない暗く長いトンネルの向こうに、その栄光は厳かに佇む。
挑む権利すら得られない者もある。この点で、権利を得られる者はその時点で才があると言えるが、その才の有無は栄誉との距離感に関係はあれど、浴することができるか否かとはまた別の話だ。そこに、ダービーは「最も運の強い者が勝つ」と言われる所以がある。
本番までの過ごし方、心の持ち方、技術の使いかた、あらゆる面で、蓄積された経験は生きる。
調教師は言わずもがな、最後に手綱を託される騎手においてこそ、それはより強く求められると私は思うし、だからこそ、走る馬と同じくらい、騎手の物語もここでは重さを持つのだと思っている。
○
今年は2つの「悔しさ」に目を向けたい。
○
戸崎圭太。
南関東で一時代を築いたのち、鳴り物入りで中央移籍。3度リーディングジョッキーとなるなど、実績には輝かしいものがある。G1も12Vと申し分ない強い騎手だ。
それでも彼の時代があったと語られることが少ない理由は、クラシックでの活躍が地味であること、そして何より、ダービーが獲れていないことだろう。
南関時代は東京ダービーの戴冠を経験しているが、中央の日本ダービー、東京優駿は毎年のように騎乗がありながら未戴冠に終わっている。
彼のダービーは、一言で言うなら噛み合っていなかったように思う。
勝ち切る騎乗ができていた頃は人気馬でダービーに乗れず、勝率が低迷していた頃にエポカドーロなどの力のある馬で挑むことになっていた。ここのレースも生き物だが、そこに至るまでの道のりもまた生き物だ。
これまでの戸崎のダービーは、流れに乗れる時に流れが来ず、流れに乗れない時に流れが来てしまっていたように思う。
そんな中にあっても、'18エポカドーロ、'19ダノンキングリーで2年連続2着。1着との差は1/2、クビと着実に詰まった。ダービーで上位に来る感覚は確実に戸崎に蓄積されている。
もう一押し、もう一押しさえあれば……
そう言える距離にまで、戸崎は駒を進めている。
その「もう一押し」
―”噛み合う”瞬間は、今年かもしれない。
今年の戸崎はここまで勝率18%。
昨年が14.4%、一昨年は16.7%あるが、最後にリーディングを獲った年自己ベストの19.3%以降一昨年までの間はずっと13%台だったことを思えば、自己ベストにこそ及ばないが今年の戸崎は再びの充実期に入っていると言えよう。
上昇度が問われるとも言われるこのレース、騎手自身も充実一途の今年は、流れが来ていると言ってもいいのではないか。
今年の相棒、ジャスティンミラノも実に頼もしい。
スローの共同通信杯を圧巻の末脚で押し切ったと思えば、G1の流れへの対応を不安視された皐月賞はレコードを誘発する高速決着を押し切ってみせた。まだキャリアは3戦。このダービーが今年の3戦目だ。
キズナ産駒の東京2400成績2-9-9-41が勝ち切れないネックとなりうるのではないかという意見を目にする。私自身も、各馬の検討の項で言及したし、実際取捨に困る要素だとは思う。あれだけ優秀な種牡馬でありながらこの成績は確かに不安になる。
だが視点を変えれば、複勝率は3割あり、東京2400で勝負圏へと騎手を運ぶ力は優に持ち合わせているということでもある。
つまり、ダービーの舞台、ゴール前で、騎手の腕比べに持ち込ませる力が、馬自身には潜在しているということだ。
それを引き出すのが騎手の仕事でもあるが、競馬は馬と人が織りなす競技。
人が馬の力を引き出すのと同じように、馬が人に力を与える場面というのは長い歴史の中で何度もあるし、あっていいもの。
むしろそれがあるから私たちは競馬に惹き込まれ、そして競馬に夢を見る。
あと一押しが足りない血統に、取り戻した勝ち切る騎乗での一押し。
人馬が互いに足りない部分を補い合い、高めあう。競馬で人が馬に跨る意味を、今年のこのペアに見たい。
ゴール前の叩き合い、そこに立つ権利が戸崎にはある。そこに立てる流れが今年の戸崎にはある。そこで競り勝つ技術も、気迫も。
足りないのはただ勝利だけ。「ダービー戴冠」ただそれだけなのだ。
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横山武史。
今年26歳の若武者は、そのキャリアの短さと裏腹に、センスと技術、そして濃密な経験を蓄えている。
近年は特に充実していて、今や「名手・横山典弘の息子」から、「横山武史の父が横山典弘」なのだと、世間の認識も変わりつつあるのではないか。
ダービーは今回で5回目。取りに行かなくてはならない忘れ物が、そこにはある。
2019年、初挑戦のダービーでは果敢な大逃げ。敗れこそしたが、若者らしい闘争心と、若者らしからぬ胆力を世間に知らしめた。
2021年、2回目のダービーは1番人気での挑戦。ハナ差という僅かな、しかし絶対的に大きな差で戴冠を逃した。
2022年、3回目の挑戦は相棒・キラーアビリティの体調も整わない中で6着。
2023年はソールオリエンスと再度1番人気での挑戦になった。その差、クビ……
たった4回の挑戦で、半分を1番人気を背負って戦った。十分すぎるほど引き出しは増えた。言葉に表しきれない悔しさも噛み締めた。
そして悔しさを噛み締める度、それを乗り越えるべく、力を蓄えてきた。
「エフフォーリアとの涙を糧に」横山武史が語った最良パートナー引退と”ダービーのドン底”「敗れた瞬間がフラッシュバックすることも…」(3/3) - 競馬 - Number Web - ナンバー
エフフォーリアの悔しさを、ソールオリエンスで果たす事はできなかった。結果が全ての世界だけれど、結果へと繋がる道を確実に歩んでいる。
冒頭で書いたが、この舞台には挑む権利すら与えられない者もある。その中において毎年のように挑戦ができている彼は(彼の努力と実力がそれを呼び寄せているにしても)幸運で、さらに加えてチャンスの大きい馬で挑めているというのは、月並みな言い方をすれば"ダービーを勝つべき"と神様が言っているのではないか、そう思わされすらする。
隠さない情熱、ひたむきさ、それは横山武史の魅力であり、人間らしさでもある。でももう、いたずらにセンスと技能だけで駆け上がってきたあの頃の若武者ではない。
彼はもう、敗北を知っている。
彼はもう、悔しさを知っている。
彼はもう、勝利の重さを知っている。
今年の相棒はアーバンシック。
父のスワーヴリチャードは東京でG1含む重賞3勝、立派な成績を収めてきた。キャリア19戦で6勝、G1は2勝。十分な数字だ。
でも、大阪杯は主力勢が不在、ジャパンカップは快勝したものの、世間はアーモンドアイの天皇賞の余韻の中。ダービーは3/4身差で勝利を逸していたこともあり、この馬が「クラシックディスタンス王者だ」という評価は、世間から今一つ下されていない、ましてや東京2400の王者だなんて評価はもってのほかというような、そんな雰囲気だったと記憶している。時代の谷間のG1馬、キタサンブラックに代わるアイドルを求めていた時代。そこにスワーヴリチャードはいた。
私はスワーヴリチャードが大好きだった。
というよりも、レイデオロとスワーヴリチャードが走るレースが好きだった。二頭の戦いには、私の語彙が足りないのがもどかしいのだが、惹きつけられる何かがあった。
全く差が詰まらなかったダービーの直線、それでも必死に追う四位洋文と懸命に駆けるスワーヴリチャードの姿に心を奪われた。
あの日、スワーヴリチャードがダービーを制していたら、ここまで好きにはならなかっただろうと思う。1着を追い求めるその姿にハーツクライの無念を覚えたし、でもその悔しさの先に、父がいつぞやの有馬記念で成し遂げたように、面目躍如の白星が待っていると信じていたから。
だから19年のジャパンカップでスワーヴリチャードが勝った時は嬉しかった。
この馬が、初めて勝利を以てレイデオロを下せたから。しかも東京2400で!この馬が東京2400でも強いのだと世界に示せたのがとても嬉しかったのを覚えている。
確かにレイデオロは海外遠征で馬が燃え尽きてしまっていたかもしれない。ジャパンカップは馬場が合わなかったかもしれない。当時の私すら、本命をレイデオロに打っていた。非サンデーのダービー馬、馬場の悪化など苦にすまい、と。
結果は、ダービーの直線では全く差が詰まらなかったあのレイデオロが、「最高のデキ」を以て送り出されたレイデオロが後方でもがくのを尻目に、泥臭く内を突いて押し切っての勝利。
サンデーサイレンスを持たないが、ウインドインハーヘアの血を継いだ東京クラシックディスタンスの王者・レイデオロ。そして2代にわたり東京2400でウインドインハーヘアを下したハーツクライと、その源流のサンデーサイレンス。大仰に言えば、この2頭によるクラシックディスタンス制覇はここに現代日本競馬の一時代=サンデーサイレンスとウインドインハーヘアに支配された時代の完成が示されたように感じた。
他にもそんなレースいくらでもあるだろ、と言われるかもしれないし、事実そうかもしれないけれど、私の競馬観においては、この事実はゆるぎないものの一つなのもまた間違いがない。
閑話休題。
そんな「東京2400の王者」たるスワーヴリチャードの血を引くアーバンシックだ。距離の延長は問題ないと思っている。
武史曰く、レースを経るごとに難しい部分が減ってきたという。前走こそ少しカカる部分を見せたが、それでも最後には切れのある末脚を披露したように、体ができてきて余裕ができた分、そういったカカリを見せてしまったということなのだろう。
「ダービーへつながる」
武史のこのコメントに噓偽りはないだろうし、実際、追い切りでも「本番が楽しみで仕方ない」と師に言わしめた。この血脈をして、遂にダービーに完成が間に合ったのだと信じたい。
”脚”は溜まり切った。「王道」への第一歩。人馬共に一つ上へ。「ダービーの1着」以外はもう、要らない。
○
私が見たい結末を印にしよう―
その原点に立ち返ったとき、これが一番腑に落ちる印だった。
結局のところ、私は横山武史という騎手が好きなのかもしれない。
同じ年齢でトップを走るところに対するリスペクトはあるが、それだけではない。
気持ちを制そうとするんだけれど、時折漏れ出る感情……人間臭い部分。まだ青いそんな部分を残していて、まだ完成の域にはないんだけれど、確実に完成へと至ってはいる。
年齢的にも、技術的にも、人間的にも、まだまだこの先があるように見える。未来は道でいてそして魅力的だ。この完成に至る過程を今まさに歩んでいるそのさまが、私を惹きつけてやまないのだと思う。
馬にも惹かれている。
ダービー2世代連続の2着。限りなく栄光に近く迫りながら、その絶対的な差に涙を呑む着。ことダービーにおいては、2着馬で語られることはまず有り得ない。着1つの差で、歴史に埋もれるか否かが決まる、そう言っても決して過言ではない。
ただ、私が弱く力のない人間だからだろうか。悔しさに涙を流した者にこそ、報われて欲しいと思ってしまう。悔しさは、涙は、必ず糧になって、いつか大きなことを成せるのだと示してほしくなる。夢を、競馬に見たくなる。
アーバンシックの末脚ならそれが実現できる。私に夢を見せてくれる。
そう思ってやまない。
ウインドインハーヘアとサンデーサイレンス ― 日本競馬を支配する二頭の血脈が、東京2400で競り合いながらゴールへと向かうその姿に、日本競馬におけるこの二頭の存在を再確認すると共に、この一つ完成された時代の中で、新たな時代を切り拓かんとする未完の大器二人の新たな一歩を、ここから拓かれて行くかもしれない新たな時代の萌芽を、この12ハロンに見たい。
そしてその熱戦は、新たな時代を生きる若武者が制しているのではないか。
私はそう予想して……いや、そうなることを望んでいる。
東京優駿2024
◎アーバンシック
〇ジャスティンミラノ
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