土俵際競馬愛好会

相撲と競馬と銭湯と映画を愛する男の隠れ家的日記

叶える夢、昇る朝陽ー東京優駿(日本ダービー)2023ー

今年もこの日がやって来た。

競走馬として生まれた、世代7000頭以上の馬たちの頂点を決める伝統の一戦

馬生一度きりの大舞台。辿り着いた18頭による、至高の一戦。

血が、馬が、人が、絆が、競馬を取り巻く全てが紡ぐ、最高のひと鞍。

東京優駿日本ダービー2023。

 

 

 

 

 

 

1番エフフォーリア、10番シャフリヤール、どっちだ⁉―

 

2年前の東京優駿

 

ハナ差。

 

 

僅かな、しかし何よりも大きなその差で、エフフォーリアと横山武史は世代の頂点を逃した。

負けた相手はシャフリヤールと、今年騎手を引退した福永祐一。その福永祐一もまた、このダービーで苦杯を舐めた張本人であっただけに、私の中でも、そしてきっと多くのファンにとっても、非常に印象に残るダービーであった。

 

 

 

 

 

 

エピファネイアのダービー2着は自分のせい」

こんな馬を任せてもらって結果を残せないなら騎手を辞めようか……まで思いつめたという福永。キングヘイローはじめ様々な名馬たちとの走りが、勝利が、そして何より敗北が、彼を強くしたはずだった。

ダービーに限っても、キングヘイローと共に2番人気で臨んだ初めてのダービーでの大敗、アドマイヤフジで果たした初めての掲示板、アサクサキングスでの初連対、そのどれもに意味はあったけれど、そのどれもが望んだ結果とは違った。全ての悔しさは、いつか手にする勝利のため。そう信じて精進したに違いないが、その道はきっと何よりも険しく、遠い道だったことと思う。

彼はそうして積み上げたキャリアをもってしても、エピファネイアという名馬をダービー馬にできなかった。もうこれ以上の馬には巡り合えないかもしれない。そう思ったことだろう。でも彼は折れなかった。

 

 

―敗北は、人を、強くする。

 

エピファネイアから5年、遂に彼にもその時が来た。

 

黒地、青袖、黄鋸歯型。

近代日本競馬の象徴の一つとも言える勝負服を身にまとって。

不利と言われた桃帽子も、研ぎ澄まされた技術と、積み上げた悔しさ、そして少しの運で乗り越えた。

 

―これが「ダービーを勝った景色」か

 

ダービーは、文字通り、彼の騎手人生の大きな転換点となる。

この勝利を皮切りに直後5年でダービーを3勝。自身が望んだ「歴史に名を刻むような馬」……コントレイルとの出会いも果たし、「巧いけど勝ち切れない」騎手から、誰もが認める名手へと駆けあがっていった。

 

 

 

 

 

 

―ダービーとは何か。

 

私を始め、ファンが毎年その思いを巡らせる特別なレース。

まだファンとなってわずかでしかない自分には、到底その確たる答えは見つけられないが、現時点での答えは「物語の転換点」だ。

 

3歳の春。当然馬たちの物語もここがゴールではないが、振り返ったとき、その馬においては常にダービーが語られる。ダービーの前と後では、その馬がまるで違う馬であるかのように……

人においてもそうだ。G1を獲ったジョッキーをG1ジョッキーと呼びこそすれ、個々のレースを勝った事を指して―例えば(呼ばれはしないが)皐月賞ジョッキー、といったような形で―呼ばれるのは、ダービージョッキーだけだろう。

人馬どちらにとっても、それぞれの物語を語る上で、ダービーは他のG1とは一線を画して語られる。

ダービーは特別で、大きく、まばゆい。

 

 

このレースは、勝ち取るのではなく、きっと「選ばれる」。

ダービーのタイトルを手にする者とは、それすなわちダービーに、運よく、選ばれた者。ダービーを己が物語に編み込むことを許された者に他ならない。

 

 

 

 

 

sumo-to-keiba.hatenadiary.jp

これは一昨年の私のダービー回顧録だが、恥ずかしながらこの内容の一部を、少し長いが引用する。

 

武豊キズナが制した、あの2013年のダービーから8年。

祐一はこの8年の間にダービーを勝ち、ダービーの勝ち方を知った。

今度は自らが、あの時立ちふさがっていた壁になった。 そして今日、レースの厳しさを、ダービーという壁の高さを、重みを、残酷なまでのハナ差で示して見せた。

 

ワグネリアンでのダービー制覇で大きな自信をもらいましたし、経験をその後の騎手人生に生かせています。こうしてその後のダービーを2勝できたのも、ワグネリアンでの勝利があったからこそだと思います。」

 

今年のダービー後の祐一のコメントが、ダービーを獲る前と後とで見えるもの、できることが大きく違うことを物語っている。

では今回勝利を得られなかった武史がそこまでの騎手だったのか?というと、もちろんそんなことはない。 祐一の初めてのダービー挑戦は2番人気のキングヘイローでの大敗、そこから初の入着(2着)を果たすアサクサキングスまで実に9年・6回の挑戦をしたことを思えば、横山武史という騎手は2回目の挑戦でしかも圧倒的1番人気を背負ってのハナ差2着だったのだから、運もさることながら実力においても優れた騎手であると言えるだろう。 特に若くして大舞台で臆さない精神力は特筆すべきものだろうと思う。臆さないのではなく、そういったところを見せないだけなのかもしれないが、いずれにせよすごいことだ。

レースを振り返っても、武史は100点の騎乗をしていた。たらればは無限にあるだろうが、最適解の一つを通っていたことは疑いようがない。

 

武史が”そこ”に至るには、まだ早すぎたということなのだろうか。

答えは私なぞにはもちろん分かる訳もない。 ただ、この先もずっと、血は繋がっていき、歴史は回っていく。 そしてそこには、競馬の神様がいるのではないかと思わされるようなドラマがある。

 

ここまでの人気馬でダービーに乗れるのはそうあることではない。 次にチャンスが巡ってくるのがいつになるのかさえ見当がつかない。

ただ今日のダービーを見て、横山武史という騎手は、「競馬」の流れ、ドラマの中に在る人なんだろうと、私はそう感じた。 祐一が豊に僅差で敗れ、今度はその祐一が武史を僅差で下したように、いつの日か武史は、誰かの挑戦を迎え撃つ壁になっていくだろうと思う。

私は彼と同い年だが、次にダービーで彼と彼の馬に◎を打つ時、私たちはいったい何歳になっているだろう。 近い将来であるならそれはそれでいいが、焦らず、じっくりとその力を蓄えてもらって、素晴らしいドラマを見せてくれる日を気長に待ちたいと思う。

日本ダービー2021を振り返って - 土俵際競馬愛好会

 

 

彼と彼の物語は、私なんぞの想像を嘲るかのようなスピードで進む。

決して見くびったわけではない。だが彼の物語は、ものすごい密度とスピードで展開されていくようだ。

 

祐一で20年、豊で10年かかったダービー戴冠への道を思えば、ダービー初騎乗から4年で2回も人気馬で臨めるというのは、幸運の一言では説明がつかないほどの巡り合わせだと言えよう。

ここで勝てなかったなら、その傷は、横山武史を「ダービーを獲れなかった騎手」で終わらせてしまう可能性すらある。短期間で2頭も人気馬で挑んで勝てなかった記憶は、間違いなく、呪いのように彼を蝕むだろう。かつて多くの名手がそうであったように。

 

巷では「(横山武には)まだ早すぎる」とか、「(勝ちたいと連呼したことについて)気持ちが前面に出過ぎている」「若い」といった意見も散見される。

 

しかし、遠回りも人生なら、たまの近道もまた人生だ。

 

ダービーを勝つこと、そこに時間的な遠近や早遅は存在しない。

 

もし仮にこの勝利で天狗になって、名手としての物語が終わるとしても、この騎手の物語がそこまでだったという話であって、転換点としてのこのダービーだった、それまでのことなのだ。

ダービーとは節目であり、スタートでもあり、終わりにもなる。時の流れはおろか、人生の流れすら変えうる、あまりに純粋な栄光がそこにはある。

 

 

 

 

私は賭けてみたい。

 

彼が令和日本競馬史の主人公のひとりであるという可能性に。

一昨年私が抱いていた、彼が「物語の人」であるという、私の中の確信に。

 

……そしてソールオリエンスが、彼の物語を導く馬であるという希望に。

 

 

 

 

 

 

「イクイノックス=新たな芽吹き」 に続く 「ソールオリエンス=朝日」

 

 

武豊を背に平成を逃げたキタサンブラックの血が、若い力と新たな時代を切り拓くというこの筋書きは、フィクションにしてもやり過ぎと言われそうだが、いやいや、いかにも物語の人馬に相応しい、何とも美しい流れではないか。

季節は移り、陽は昇る。

この地球で生命が歩む絶対的な輪廻が、走ることを宿命として生まれてきた競走馬たちが織り成すドラマの底にも流れている。

 

 

ソールオリエンスに与えられたゲートは3枠5番。

 

衝撃、金の血脈、偉大なる航跡……数多の伝説が通った枠だ。

 

舞台はすべて整った。

 

 

さぁ、物語の1ページを見届けよう。

横山武史の物語の、新たな幕開けを。

 

 

夢は、叶えるためにある。

 

 

 

 

第90回 東京優駿日本ダービー

 

◎ソールオリエンス 横山武史