思い返しながら、あるいはその場で感じたままに、つらつらと綴った渡仏記。1日目。
まだ何もしてません。
1日目②があるかは着陸後宿での余裕次第。
10:40羽田発バリ シャルル・ド・ゴール行の直通便、JAL0045便で私はフランスへと飛び立った。
家を出るのは割と朝早かったのに、母が空港までついてきてくれた。
実のところ、母が見送りについてくるのはあまり賛成ではなかった。
しかしそれは母自身が心配していたような理由ではない。
実のところ私は、大の寂しがりやである。
今回は自分で飛ぶのを決めておいてそれはないだろうと思うが、しかし事実、私は寂しがりやなのだ。
最後の最後まで母がついてくる、それは即ち、飛び立つ直前まで家族のぬくもりに触れるということに他ならない。私は未知の環境へ飛び込むのが怖いし、慣れた環境から離れるのが怖い。
いざ着いてしまえばこんなことすぐに忘れてしまうのだが、やはりその 離れる瞬間 というのはきついものがある。
5月にミュージカルを始めてから、私の涙腺は以前にも増して脆くなった。
寂しくなった時、悲しくなった時、気が高まった時、私はすぐに泣いてしまう。しかしその姿を人に見せたくはないという、必要かわからないプライドがある。だから私は母についてきて欲しくはなかったのだ。母は心配性だから、泣いているところを見せてしまってはきっと私がいない間(とはいえたったの4日間なのだが)心配させてしまうだろうと思った。
口数少なになってしまったのはそういう訳だったのだ。たまにこのブログを母も覗いているそうだから、覗いていたらそこは理解していただければと思う。ごめんね、母さん。
母に別れを告げ、機内へ。
搭乗までは驚くほどスムーズだった。初心者だから飛行機乗れるかな、、、とか要らぬ心配であった。強いて言えば、母に買ってもらった緑茶が完全に液体の規定を逸脱していて、7割残ってたのに捨てなきゃいけなくなったことくらいか。ともあれ、何事もなく機内へと乗り込んだ。
考え過ぎと言ってしまえばそこまでなのだが、国際線離陸の瞬間は国を離れる瞬間だと思っていて、生まれ育った国を離れるというのは中々心にくるものがある。まぁ4日間なんですけどね。
そんなこんなしてるうちに飛行機は急加速。
ソアリンっぽい浮遊感とともに、機体は私を乗せて空にその身を委ねた。
○
さて、往路の空ではやらなくてはいけないことが2つある。
ひとつは大井競馬。時間の感覚が分かんないから結構時計をこまめに見てレースに臨まねばならない。
もうひとつはゼミ課題。
こっちが先に来ない時点で察しなのだが、来週の火曜に発表を控えている私は、それのためにパワポでスライドを作らねばならない。
夏休み課題の論文仮構成は割とけちょんけちょんにされ、なおかつ発表までは1週間しかない。加えて木金土日月はフランス旅行の最中である。これやばくない??(やばい)
私は学徒としての誇りを胸にパソコンに向かい、パワポをカタカタし始めた。
○
パワポ中のこと。
小便に行きたくなった。しかし私は窓際の席のため、トイレに行くには廊下側の席の人に伺いを立てねばならない。
そこで私は思いついた隣の人がトイレに立った時に合わせて出れば良いのではないか?と。
リオンリオン横山典弘は絶対に詰まらないと信じてその後ろを陣取った川田将雅のように、私は隣が立つのを待った。
すると10分後、隣の人が立った。
隣の人が立った!(Cv.ハイジ)
今だと言わんばかりに私は席を立つ。おしぼりを床に落としたがそんなのはこの際どうでも良い。おしぼりとおもらし、天秤にかけずともどちらが重要かはわかる。義務教育を終えているので。
そしてトイレへと歩もうとしたその時。
ガクンッッ
ディズニーシーでよく喰らうやつだ。
浮遊感とともによろめいてしまった。おじさん睨まないでくれ、俺はトイレに行きたいんだ。
人の視線もなんのその、私はトイレへ向かおうとしたのだが、ここでアナウンス。
「ただいま機長指示により、全てのお客様への着席をお願い致します。客室乗務員も全員着席致します。以後トイレの使用はアナウンスがございますまでご遠慮下さいますようお願い致します」
無情過ぎる。この度は清らかな涙から始まったと言うのに。。。。俺が一体何をしたと言うんだ。私はおしっこの代わりに涙を流して着席した。泣いてばかり。
追記 おしっこできました。
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大井バカ負けしたのはこの際置いておこう。
最終は逆転を期してかなり入れた。
達城頭は想定外だったが、そういう想定外のために頭の馬券も買っておいたのだ。それなのに森泰斗は……おっと、これ以上はいけない。でも森泰斗きてたら450倍の三連単と26倍くらいの3連複400円あったのにナ……
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今私はヨーロッパの空の上にいる。
日本を離れて沈む陽を追い、今ちょうどバルト海を渡り終えた。はるか東方からの12時間の空の旅も、すでに残すところあと1時間と少しである。
実は幼少の頃、母が仕事で出会った友人を訪ねて家族でスイスへと行ったことがあるのでヨーロッパは初めてではない。しかし、物心ついてから海外の経験は高校2年次に行われた2週間の豪州語学研修のみで、海こそ越えたが西へは行ったことがなかった。
窓の外を見やると、眼下には雲がどこまでも広がっている。海のようだとは誰が言ったか、ともかく言い得て妙である。巷で人気の『天気の子』の空の描写もそれはまた眼を見張るものがあったが、やはり本物には敵わないなと改めて痛感する。
その雲の海の切れ間からは欧州の山々が見える。深い緑の間にポツポツと点描のようにある白い点は家だろうか。あぁ、はるか海の向こうにも人がいるのだ!当たり前だけれど、その当たり前が当たり前なのだということに私は深く感動した。
飛行情報の欄には高度と外気温が出ているのだが、外は圧倒的に氷点下。高度も富士山なんか軽く超えるような高さだ。
窓のへりをよく見ると、氷の結晶がまばらについていた。この氷が溶けた時、私は初めてフランスに降り立つのだ。