今週は映画を3本観て大変満足。
胃腸炎の気配も身体から消え去り、遂に私にも春が来た。
ここから巻き返しを期したい一人暮らし、878日目の記録。
こんしゅうのわたし
さて、副題と冒頭の通り、今週は映画を3本鑑賞。
中でも大当たりは2本目に観た『ソウルフル・ワールド』で、これは大変良かったこともあり別記事にまとめるに至った。もし興味があればリンク先でぜひ。
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瞬間は連なり、人生を編むー『ソウルフル・ワールド』を観てー - 土俵際競馬愛好会
日本人がこの映画を観て、笑顔で客席を立つことはないだろう。が、かと言って、旧敵への時空を超えた恨みを惹起するかと言えばそれもまた否だろう。抱く感想についてひとつ言うなら、月並みだが「考えさせられる」作品であるということではないか。
私は無神論者だが、私は、人間の営みは、プロメテウスさながら、超越的な力を、長い歴史の中で、人智を超えた何かから掠め取って成されているように思う。それはつまるところ想像にはじまる創造であり、それを科学の視点では発明と呼ぶものだと思う。
かつてヒトは暖、灯、そして食を広げる手段として、ひょんなことから火を得た。それは生活を豊かにすると同時に、他の生命を殺める新たな術を得ることにもつながった。時が進み、火薬が発明、実用に至ると、その刃は更に鋭いものとなり、動物に限らず、多くの人をも殺めた。
この一例だけを以てそれを論じるのはいささか乱暴なところがあるのは承知の上で、豊かさを生む術は、得てしてそれを壊す力と紙一重だと考える。
今回のキーである原子力にしても、風水力とは段違いの効率で電力を得る術として用いられてもいるが、一方でこの映画でも取り上げられた通り、この世の理を超えた兵器としても扱われてしまっている。
そこに在る力の矛先は、その担い手次第でどこにでも向く。
オッペンハイマーという人間は、道に殉ずる人間であったと感じる。
自らが愛し、信じた科学に、そして己が愛した祖国に。
彼はその純粋さゆえに、政治の道具として歴史に巻き込まれた被害者とも言えるかもしれない。
それだけに、結果として多くの市民が犠牲になったことは心理的にも大きなダメージがあったことは想像に難くない。結果として原爆こそ作ったが、その使用に対する道義的責任にはある程度自覚的で、戦後は水爆開発への反対を始め軍拡反対の路線を主張したのは、当然に史実であるほか、原爆被災地こそ訪れなかったものの、存命中に来日も果たしている。悔恨の意を表する言葉は残っていないが、来日時はFBI監視下にあった時期であり、言葉はかなり選んだものと考えるのが自然だろう。
政治になびかなかず、名声におぼれなかったところに、彼の人となりと強さが表れている。強い人間であり、道を外していない。(強いて言えば人の歴史を変えてしまったかもしれないが)だからこそ、私はこの人を強く憎むことはできない。
さて、今作を見終えて胸を巡ったことの中で、間違いなく最も大きなものの一つは「抑止力としての武力」についてだ。
目には目を、歯には歯を―
有名なハンムラビ法典の言葉だが、核兵器を巡る大陸の動向は、まさしくこの通りで、「ひとたび核を使うことがあればこちらにもその用意がある」という状況だ。
核が無くなればそれはそれで抑止力が無くなり戦争が起こってしまう、という懸念も相まって、すべての核保有国がそれぞれの核を手放すには至っていない。
武力行使の先は何も生まれない。ましてや核行使の先は言うまでもない。
この力の保有で均衡を保つ状況を打破するためには何ができるのか。武器を手放し、0と0で釣り合わせるためには我々は何ができるのか。我々にまずできることは、このことを考える事、そしてこの平和を享受する中で、戦火に散った先人を偲び、忘れないことであると思う。
戦いの痛みを忘れると、人は痛みを軽視する。その軽視がまた戦いを生み、痛みを生むのだと思う。実際の痛みを伴わずに痛みを知覚するにはどうすればよいか。
その一つの手段が、今作の映画鑑賞のような方法での情報収集だと思う。
今作が日本でも配給されたことの意義を改めて考えたい。
そして今の日本の平和への感謝と、地球で起こる戦火の鎮静を祈って、この感想を結ぶ。
本筋とは逸れるが、劇中で印象的に描かれるアインシュタインとの交流も当然史実である。これに関連して少し……
「静かに観られるだろうし、客層もマシだろうからレイトショーで観よう」と20:00からの上映回を選んで鑑賞したのだが、終劇後「ま、あんな所にアインシュタインいる訳ねェんだよな!そういうとこがフィクションって感じだし、鵜呑みにするのは良くない映画だった」という旨の発言を堂々としている若い男がいたのだが、思わず二度見して目も合ってしまった。いやいや……「江戸川コナンって小さくなった工藤新一なんだよな~」とかそういうレベルじゃないんだよ???という……題材が題材だけに、大まかな歴史的背景は掴んだうえで、あるいは興味を持って鑑賞したのなら鑑賞後に学ぶなりして補完してもらいたいところ。とりわけこの映画はそういうものだと思う。にしてもこれを完全フィクションだと思って3時間観ていたのか……と思うと哀れみすら覚える。私ごときが言うのもおこがましいと思いつつ、塾講師の時によく言っていたのだが、勉強って大学入試の道具ってだけじゃないですからね。自分と世界の接点を増やして、多くの世界と出会わせてくれるものですからね。
あまりにも物凄い感想を耳にしたせいで感想が半分飛びかけた。頭の中でこれの構想とか考えてたんだけど……レイトショーは知的なおっさんとか物静かな紳士淑女が観に来るっていう思い込みを私も直さねばならないな。以上こぼれ話でした。
毎年観ているのでこれも。
今年はラブコメが推理に少し力いれました!みたいな出来で、私としては正直微妙。TOHOシネマズは水曜が安いので水曜に観たのだがそれで良かった。
コナンガチ勢の妹曰く、「平次かキッドが好きでないとつまらない」とのこと。私はどっちも好きじゃないのでつまらなかった。妹はキッド推し。お前去年は別の奴推しじゃなかったか?それはそうと平次の声は堀川りょうだったのだと今更知った。途中からベジータにしか聞こえなくなって余計に没入できなかった。コナンに限らずだが、最後にいい感じのエンディングテーマを流してエモエモにすれば許されると思ってない?思ってるでしょ。鑑賞後のもやつきを全て払ってくれるくらいにaikoの相思相愛は普通に良かった。良い曲。毎日聴いている。
しかし、去年のサブマリンはオタク歓喜コンテンツを差し引いてもちゃんとしていたと思うし、私が哀ちゃんが好きだからというのをさらに差し引いてもいい作品だったと思う。扱ったテーマも、本当に現実世界で起こりうる技術に関連するものだった。さながら、名作回の相棒のような感じで。だからこそ今年は、考えさせられるものもなかったし物足りなかった。そりゃ毎年毎年名作を生めるのなら更なる怪物コンテンツになっているよという話ではあるのだが。来年に期待。
ちなみにその昨年公開作・黒鉄のサブマリンはこの記事が上がる金曜21時より金ローで地上波初やりますんでよろしく、と妹から。
みんなで観よう。
こんしゅうのけいば
天皇賞に備えてお休みです。テレボートも解約して、ギャンブルへの気持ちが無い。
とか言いつつ結局障害打つと思うけど、ひとまずしばらくはG1のみ。
出張の宿泊費が立替払いで、出張ラッシュを控えた今、持ち出し額がえげつなくてとてもギャンブルはできないのだ。
貯金しないとなぁ……
こんしゅうのひとくち
5歳
ルージュアルル【3-1-2-1-2-5】
477キロ。5月のレースまでなんとか上積みが欲しい……
4歳
レッドラグラス【2-2-1-1-0-2】
3歳
ルージュアリエル
ルージュベルベット【0-0-1-0-1-0】
馬体重微減。これ以上減らしたくないとのコメント。
2歳
レッドストーリアの22
ラスト1Fで13秒台の坂路などなど色々消化してるご様子。仕掛けた時の反応に良化余地があるようだが、順調そうな文面。
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