土俵際競馬愛好会

相撲と競馬と銭湯と映画を愛する男の隠れ家的日記

一人暮らし日記〜prelude〜

23年間、軽微な引っ越しはあったものの生まれ育った千葉でぬくぬくと生きてきた私が、遂に故郷を離れる。

 

日記なので文章的なオチとかはなく、冗長な文が続く……

 

 

 

 

家電は思ったよりも高い。

引っ越しは思ったより面倒くさい。

世を生きる社会人、いや多くの人間にとっては当たり前なのであろうその感覚は、私にとってはまだ初めてのもので、周りから遅れているという感覚が私を焦らせる。

 

転勤のある会社だと分かって入社して勤めているのだから、転勤があるのは容易に予想ができるのに、名古屋への転勤が決まった日から1週間強もの間、食事は喉を通らなかった。不安感から来るものらしく、精神を落ち着かせる漢方薬が処方された。

その漢方を飲み始めてからというもの、嘘のように症状は改善し、これを書いている今は薬を飲まなくしてから2日目だが、薬の支えでなんとか私は生きながらえたという感がある。

 

薬に限らず、私はいつも何かに頼りきりで、何か支えがないと立てない人間だ。

 

自分が強い人間であると思ったことは無いが、最近一層その弱さを感じるようになった。

ここまで育ててくれて、家事をしてくれていた母、仕事で稼いで養ってくれた父、仲のいい時も悪い時もあった妹、家族の存在はきっとひとり暮らしを始めたその時に改めて感じることだろうが、まだ故郷にいる今ですら、その偉大さと温もりを強く感じ始めている。

 

会おうと思えばいつでも会える距離感にあった友人達とも会えなくなる。

中学からの友人もそう気軽に会えなくなるし、最近打ち解けた会社の同期とも、そうそう会えなくなってしまう。

向こうでまた新たに友人ができれば、それはそれでいいのかもしれないが、特に中学からの友人と最近打ち解けた同期は私にとって大変大切な友人だから、距離が彼らに、私の存在を忘れさせてしまうのではないかと思えて怖い。

会いに来てくれると今は言っていても、きっと忙しくてそれも叶わない。

そんな風にネガティヴに考えてしまう。私は根が暗い人間だから、一度考えてしまうと止まらないし、更には弱い人間だから、少し、涙も流してしまう。

 

 

昨日、こちらにいる間に交わしていた友人との最後の約束を消化した。

話している間は当然楽しかったし、別れる直前直後にはあまり寂しさは感じなかったが、帰りの電車、駅から家への道、自分の部屋と、時間を追うごとに、もう目に見える、約束された約束がないことに寂しさが募った。カレンダーのアプリを見ても、これから来る日々には一つの約束もない。

1人になると寂しさを感じるのだと言った時は、冗談に思われたかもしれないし、口下手な私だから、向こうに行ったら寂しくなるよと素直に伝えられれば良かったなとか色々思うことはあるが、

「過ぎたことは過ぎたことだと割り切る」ほかない。

これは昨日、その友人と肉を焼いているときにもらった偉大な教えだ。

 

 

ただ、過去は過去だと篩いにかけて忘却するには些か寂しい過去もある。

私は過去の夢を見るし、過ぎた輝かしい瞬間を未来に求めてしまう節がある。

「過去が今のわたしを作る」というのも先の友人の言葉だった。

実にご都合主義的な私の援用に、その友人も辟易しているだろう。

閑話休題

私はこの弱った心を少しでも前に向けるべく、今日、私の原点とも呼べる場所に足を運ぶことにした。

 

 

私は今の職場に就職を決めたのは、内定がそこしかもらえなかったからという切羽詰まった理由もあるのだが、一番は私の目標・夢の実現に近づける場所の一つだと思えたからだ。

今言った夢・目標と呼ぶものを抱く素地を醸成した場所が大学1年冬から3年間勤めたバイト先であり、そここそ、私が原点と呼ぶ場所である。

 

そのバイト先で、直接的に何か教えを吹き込まれたことはない。

物理的に、私は尊敬する先輩方・社員さん方とは背中合わせで会話をする機会に恵まれなかったし、そもそもそういった”アツい考え”のようなものを積極的に話そうとするような人々ではなかった。

しかし、社員さんの間で交わされる、あるいは私自身と交わす言葉の端々に、そして彼らの仕事に、その熱意は潜んでいて、私は運のよいことに、その熱意にあてられた。

 

その熱意とは私の持ち合わせる言葉では容易に表すことはできないが、頑張って表すとすれば”誇り”である。意地と言ってもいいかもしれない。

彼らの仕事ひとつで彼らの目標とすることはなしえないかもしれないし、彼らもそのことをわかっている。が、彼らはそれを理由に仕事に妥協することはない。たとえそれが大海に水一滴を垂らすにすぎないようなものであるとしても、その一滴がどこかで必ず、彼らの思い描く目標を成すための一歩になると信じていた。

私はその姿勢に心を打たれ、それを尊敬した。

 

特にある一人の社員さんは、いつもは飄々としていて、ともすればふざけているようにも見えてしまうが、信条があり、自分の仕事に誇りを持ち、自分という人間が確立していた(少なくとも私にはそう見えた)。

弱い人間である私は、1人で確りと立っているその姿が大変格好よく見えた。どうにかその人に近づきたい一心で、最後の一年間、私はその人と話すために、仕事が終わっても職場に残り続けた。

土曜日の夜のみのバイトだったが、土曜日の21時を回るとその社員さんはもう仕事が終わっていて、いつもビール缶を開けていた。私はお茶を片手にいすを並べた。

ずっと喋り通しではなく、テレビを見ながら、その時浮かんできた話を話す。話が途切れても沈黙を拒まない。くだらない話からちょっぴりまじめな話まで、いろんな話をしてもらった。

全てを覚えているわけではないけれど、そのすべてが私の肥やしになっている。

私が師と仰ぐ人間は何人かいるが、この人はまず一番にその名前を挙げる師だ。

 

 

就職活動は彼らと同じ業界と、彼らがその職場で深く関わっていた業界の2つのみでおこなった。

あまり門戸の広い業界ではなかったから、結果として今の就職先以外からは「縁がなかった」と突き放されてしまったが、今の会社に決まったとき、真っ先に報告した先の社員さんは「よかったな、よかった」と何度も言ってくれた。

 

バイトとして最後の出勤日も、私はその社員さんと遅くまで残った。

23時に退社したことは覚えているのに、何を話したのかは詳らかに覚えていないけれど、最後駅の改札で去り際に

「また来な。待ってるから」

と言われたことだけは、はっきり覚えていた。

 

時は今に戻る。

私は、私の中で大きな節目である転勤を前に原点を見つめるべくバイト先だった場所へと足を運んだ。

先週も来たような……まだ日常の一部のような気さえする奇妙な感覚。

もう半年以上ぶりにもなるのだが、駅からバイト先だった場所までの道は明瞭に覚えていた。

もう働いているわけではないのに関係者用の入り口から入るのも変な話だと、チャイムを押すのに15分もためらってしまった。

チャイムを押すと、あの社員さんが変わらない感じで出迎えてくれた。

半年と少ししか経っていないのだから、変わっていなくても当然ではあるのだが、それでもその変わらない感じにどこか安心してしまった。私はこの安心感としばしの別れを告げるべく足を運んだというのに。

「本当に来てくれたんだね」

私の中では自然な流れで訪問したのだが、今までのバイトは皆、挨拶に来ると言いつつ来ない人たちだったらしい。

 

また、最後の出勤日のように話をした。

 

今日まで、まだ半年だけれど、私がしてきた仕事の話。

ずっと心配していた人間関係も今のところはうまくいっていて、仲のいい同期もできたという話。

初めての一人暮らしと、望み通りではなかった異動先での仕事が不安だという話。

前のように沈黙もはさみながら、その社員さんは全ての話を受け止めてくれた。

 

23時に退社した。

 

たまたま電車の嚙み合わせが悪く、今回は社員さんと同じ電車に乗った。

何駅か揺られて、不意に「ラインやってる?」と聞かれた。

頷くと、「せっかくだから」とラインを交換した。

「名古屋いくときは連絡するし、こっちに帰ったら連絡ちょうだいね」

こんなに嬉しいことはない。「ありがとうございます」と返すと、もうその社員さんが降車する駅だった。

今日お会いできたことへの感謝とか、色々と言いたいことがまとまらないままで頭を巡るが、減速を始めていた電車だ、降車まで時間はない。

ドアが開くと、言葉がまとまらないでいる私に社員さんは

「大丈夫だから。君なら」と言った。

頑張れ、とか、応援している、とか。

そういう言葉じゃなく、ただ私を信じて発されたその言葉に、私は背中を押される思いがした。

驚きと有難さで、ただお辞儀を返すことしかできなかったことに申し訳ない気持ちで一杯だけれど、確かに私は、前を向けた。

 

 

引っ越しを終えたら、次に帰ってくるのはいつになるのだろう。

ひとり暮らしは天国と言うけれど、それでも望郷の念は捨てても捨てきれるものではないだろう。少なくとも私は。

寂しさと共に生きるには、実は未来を考えることが一番いいのかもしれないと思い始めた。

もしかして皆知っていたのかな。肉を焼いた友人も、そういえばそんなこと言ってた気がする。

 

本当に友達が遊びに来てくれた日のために、料理を練習しよう。

麻婆茄子が好きって言ってたっけ。デザートもつけてしまおう。

良いスーパー銭湯を探そう。サウナもあると尚いい。

良いお土産を探そう。帰ったとき家族が喜ぶような。

いろんな思い出を作ろう。今日言えなかったお礼も一緒に、社員さんに聞いてもらおう。

 

再来週から始まる一人暮らしも、来月から始まる新しい仕事も、何でもできる気がしてきた。この単純さで、社会人になってからの半年を生き延びてこれたのかもしれない。

 

この気持ちで、行けるところまで行こう。

 

 

Prelude

Prelude

悩んでたことなんて

今はとりあえず棚の上へ

要らないぜ荷物なんて

何も持たないで飛び乗れ!