自覚としても精神的に不安定。
かなりしんどいので、とりあえずの書き残しです。故に乱文。競馬予想とかはもうしばらく更新しないと思います。来週は定例更新する予定です。
私は周りとは違うな、と思うときがある。もちろん、悪い意味で。
歩み遅れている、大人になれていない、そんな感覚に近い。
27歳。
普通なら新しい家族を作ったり、新しいステージに歩みを進めたり。あぁ、世の27歳はそういったライフステージに在るのに私と来たらどうだ?未だに大学生の頃と何も変われていない。勤め先の同期は、信頼できるパートナーや新たな家族を持ち、これからの人生が輝かしく見えているのだろうと察する。私は私で楽しくやっているつもりだったのだが、最近、一人で考え込む時間が多くなってしまっていて、暗い海に突き落とされたような、そういう漠然とした不安感だとか、頼るものの無さ、自分を支えられるだけの自分の力(物理的なものではなく)の無さ。そういう「無いこと」に漠然と怖くなることが多くなっている。
「普通」が何なのか、時々分からなくなる。
でも、私はどうか「普通」になりたいと願う瞬間がある。
人並みであれば、誰かと何かを共有できると思っているのかな。「無いこと」への恐怖が根源にあるから、人との共通項の多さで、何とか社会に引っかかって居たいという、そういう願望なのかもしれない。
お手本は周りに溢れているんだけれど、でも、どうしてもそれになれない。矛盾するけれど、なりたいと心の底から思えていないのかもしれないし、そこに至るまでに掛ける労力を、この期に及んで惜しんでさえいる。
あこがれから何かを始める事は今までもあった。相撲やミュージカルもそうだし、昔一瞬だけやっていた陸上も、小学校の時に足が速い人に憧れたからだった気がする。
でも全部やめてしまった。
根っからの負けず嫌いの私は、一番になれないことが嫌なのだ。上に行く人はたゆまぬ、血のにじむ努力をしていると頭で分かっていても、自分がそれをすることをしなかった。苦しいのが嫌だったし、飽き性だから、少しずつの進歩に気持ちが耐えられなかったのもあると思う。
そのくせプライドが高いのだ。何もしないくせに。私は自分に何も無いことを誰よりも知っているけれど、だからといってそれゆえにひたむきな努力を積むなんてこともなかった。謙虚に積み上げることを怠っていたと思う。だからこんな人間を誰も認めることがないのは至って自然だと思うし、自分に自信が持てたことなんて一度もない。
たまたま勉強は嫌いじゃなかったし、あれは積み上げが顕著に有効なものだから大学に行くまでは何とかなってしまったが、大学で自由に学べとなったときに私は自分の無さに苦しんだ記憶がある。成績も低迷した。普通な青春も送ってこなかったし、当座的な生き方をしてしまったツケが今来ている。
だからこの苦しみは、至って自業自得なのだ。
ひとりで苦しめばいいというのはその通りなんだけど、いざ苦しみのさなかに自分を置くと、なかなかどうして、これがどこかに吐き出さずにはいられないのだ。
今日は親友たちと、話す機会があった。
自分を肯定だけでなく、否定もしてくれる存在というのは、大変貴重だと思う。
私の意識の足りない部分を、至らない部分を、ちゃんと教えてくれるのはありがたいと思う。正直、今日は否定を受け止めるだけの精神的余力が無くて、その場では初めてしんどいと感じてしまったけれど、数時間置いた今振り返ると、ありがたい時間だったなと思う。
何よりもありがたかったのはこれ。

こみあげてくるものがある、というのはこういうことだったか。
向こうはそんな気はなかっただろうし、困惑させてしまったと反省している。
でも、もう日々に苦しい事を見出すことの方が得意で、後悔を数えているくらいの今の自分には、このEnjoy Your Dayのフレーズは恐ろしいほどに響いた。内容見てないのにウルウルしてしまったし、内容でさらに。
こういう、暗闇で苦しい時にスッと照らしてくれるような人。そういう人との縁を大切にして行かないといけない。
私のこれまでは努力を避けてきた人生だったけれど、今後は、もしその人が同じような境遇になってしまうようなことがあった時に、助けられるような人になれるように日々を積みあげていきたい。もちろん楽しみながらね。
これは私の宝物。もらった手紙類は全部きれいに取ってあるけれど、これはそれらに比べても大切に取っておく。
ありがたいことだね。ありがたい。
なんか気持ちが落ち着いてきた。漢方も効いてきたかも。
とりあえずこういう葛藤の中で何とか頑張っています。
来週、久々にちゃんと更新しますので、読んでくれる方はよろしくお願いします……
とりあえずは後は明後日までの久々の帰省を楽しもう。雨っぽいけど、降るまで自転車に乗ろう……何も考えずに追い込もう……
お目汚し失礼しました。