土俵際競馬愛好会

相撲と競馬と銭湯と映画を愛する男の隠れ家的日記

漸近線

自分の人生の中で、間違い無く大きな出来事と巡り会ったので、ほとんど競馬予想しかしていないこのブログではあるけれど、その尊さと、それに流した涙とを忘れないようにすべく(残すべきかはまた別として)ここにこうして文字の形にしておきたい思ったので残すことにする。

具体的にしてしまうと色々と問題があるので、ひどく抽象的になるのは自ら承知の上だ。

また、思っていることを垂れ流すという意味合いが強いので、乱雑な文章になることもまた承知をしている。

なら外に出すなという話なのだが、この出来事はどうも一人で抱えるには大きすぎた。

今、私はまさに辛苦の最中にある。

どうか許して欲しい。

 

 

以下長文が続く。読ませるために書いているわけではないことと、私の苦悩の鬱々とした羅列であるということを予め断っておく。

 

 

 

 

 

半年と少し前、私はその人に出会った。

ミュージカルでお世話になった人だ。

最初こそ挨拶を交わすくらいだったが、役職的な関係もあって、それなりに会話を重ねていった。

私はその人を大変尊敬していた。

就活とミュージカルの活動を並行して行い、どちらも完遂したその背中からは学ぶものが多かった。

誰に対しても分け隔てなく優しかったその人は、こんな自分にもその優しさを向けてくれた。私を含めた、その人が担当していた人にお菓子をくれたりもした。その人自身は確か末っ子であったけれど、私にとってその人はまるで年上の兄姉のようだった。たしかにその人は私の二つ上であったけれど、その事実が私にそう感じさせたわけではないと思う。

その人が覚えているかわからないが、通し練でミスを犯しまくって緊張と不安の中で本番直前を迎えていた私の背中を、ポンポンと叩いてくれたことがあった。

それは私に対してだけでなく、誰に対してもやっていたことだと思うのだが、私はその手の優しさと温もりを今でも鮮明に覚えているし、大切な感覚として心の中にしまってある。

 

 

 

その人は、変な人だった。

宇宙と呼んで差し支えない、未知で満ちた世界を自分の中に持っている人だった。

独特という言葉では何一つその人を説明できないけれど、かといって独特という言葉以外でこれだという言葉が見つかるわけでもないので、独特な人、ということにする。

見ている世界が違う人だった。それは、私の見ている世界の先に行っているという意味ではない。きっと本当にその根本から違う世界が、その人の眼前には広がっていた。

私から見ると突飛な感性を持っている人だったけれど、その突飛さがとてもおかしくて、気がつけばその世界を見ようとする自分がいた。

その人の世界を知ろうとする自分がいた。

 

 

出会った時からは想像もつかないくらい、私はその人を支えにしていた。正確には支えにしていたらしかった。

ミュージカルは5月に終わったけれど、その人とこの10月まで、私が別のミュージカルをしていた8月を除いて毎月お会いしていた。

その人はあまりに優しくて、私が会いたいというと就活の合間に会ってくれる人だった。

今思えばとても迷惑をかけていたと思う。こんな所で謝っても仕方ないのだけれど、ごめんなさい。

7月にその人のお誕生日を祝うために、有志数人で集まって食事をした。

その時にしたある話の中で、私がその人に対して持っている気持ちが、あろうことか私自身が認識していた形とは違ったということに気づいた。思えば全てはここから始まっていたといっても過言ではないかもしれない。

 

私はその人を、兄姉のように慕っていた。

私には妹がいるが、兄姉はいなかった。

頼る相手がいなかった、というと反論が来そうだが、その人に出会うまではそういう感覚で生きてきた。

大変勝手なことだが、私はその人と話している時、兄や姉がいたならきっとこんなだったのかな、なんて考えていた。その人はどう思っていたか知らないし、きっと煙たがっていたんだろうけれど、とても居心地が良かった。

 

だから、だからこそ、お誕生日に話を聞いた後、私の気持ちが実はそういった兄姉への情でなかったということに気づいた時は、自分自身驚いたと同時に、大変自分が憎かった。悲しかった。苦しかった。結果そういう気持ちを持ってしまった自分がとても醜く思われて辛かった。その日の夜は、家のベッドで泣いた。

 

その人は口では俗なことを言うけれど、その中に抱いてるものは別であるような気がしていた。

その宇宙に寄り添って共に在れる人、支え合える人はそう易々と見つかるとは思わなかったし、その人自身口で言うほどそれを求めているようには思えなかった。真実はどうなのか知らないけれど。

少なくとも、自分がそうなれるとは微塵も思わなかった。

私が辛かったのは、そういうことに気づいた上で、気づいていた上でそういう気持ちを抱いたということだ。

ベッドの上の涙はその気持ちを捨てるには力が足りなかったらしく、私は愚かにもというべきか、その気持ちと共に生きる道を選んだ。

 

 

私とその人との距離は、漸近線のようであった。

どれだけ近づこうとしても、決して交わることはない。どんなに手を伸ばせど、そこには手が届かない。一見近いその距離は、実のところある種の限界だった。それでも私は見ないふりをした。気づかないふりをした。そうでもしていないと私は生きていられなかったし、その人の方を向くことができない気がしていた。

約束された終わりは、私の中でその存在をずっと主張していたけれど、もう少し、もう少しと言い訳をして逃げ続けた。

 

 

前に少し話したが、私は8月にミュージカルに参加していた。私の役はざっくり言うと、遠い存在になってしまった想い人を追う警察官の役だった。

私は私の役にその人の影を追わせた。歌にその人への気持ちを乗せた。

私はそのミュージカルの演出補(AD)を大変尊敬していて、今でもありがたいことに連絡を取らせていただいているのだが、きっとそのADは今私が書いたような気持ちの持ちようを、私情を挟むなと断じるだろうと思う。

できるだけ私情を挟み込まないよう、挟み込んでいることがバレないようにしていたけれど、今思えば自分も気付いていなかった深いところで、私はその人の影を追ってしまっていた。

 

その人は、そのミュージカルの本番を見にきてくれた。前日にLINEもくださって、何時の回に行くだとか、頑張れだとか、そういうことが書いてあった。

その人が来てくれた回は、千秋楽ではなかったのだが、私の演技、というか私の役が一番生きていたのはその人が来てくれた回だったなと思う。舞台も終盤に差し掛かり、幕が下りる直前に私は泣いた。今考えても何に対しての涙なのかその正体はわからない。改めて届かない距離を見せつけられそうだったからなのか、役作りの間会えなかったのに自分の中で過度に慕情を高めてしまったからなのか、ともかく私は泣いた。

 

小さな舞台だから、終演後に観客との交流がある。他にも私と面識のある観客の方もいたのだが、私は真っ先にその人を探した。

その人は変わらない風でそこにいた。

色々コメントをくれたけれど、良かったよ、という言葉だけしか覚えていない。

他のキャストがその人とハグをしていたので、私もつい、乗じてハグをしてもらってしまった。

私は人に触れることに慣れていないので、秒数にして2秒あったかなかったかくらいだったと思う。

その人は私の肩くらいの身長だから当然に私より軽いのだが、初めて触れたその体はその存在の大きさに比してとても軽く、小さく感じられた。

友人がそのハグの瞬間を写真に収めていてくれて、つい最近それを初めて見たのだが、その人はその一瞬のうちに、私を包み込むようにハグをしてくれていた。その人の優しさを体現しているようで感動したのを覚えている。

このハグの感覚もまた、私の中の大切な感覚としてしまってある。

 

 

私がミュージカルを終え、その人が就活を終えたら出かけるという約束を8月にしていた。

今思うとその人に悪かったなと思うけれど、私はその約束をする時に嘘をついた。

その人とはフクロウカフェに行くという約束をしていた。

その人がフクロウを手に乗せたいと言ったから、「私もフクロウが好きなので一緒にフクロウ乗せに行きましょう!」と返したのだが、実のところ私は動物全般があまり得意でなかった。鳥もまた例に漏れず得意ではなかったし、猛禽類って猛々しいから猛禽類って言うんだろうなと怖いイメージを持っていたから、ことフクロウに触れる事についてはあまり楽しみでなかったしむしろ悩みの種だった。ごめんなさい。

 

散々苦悩を書いておいてなんだが、そのフクロウカフェに行く日を私は本当に待ち焦がれていた。矛盾するようだけれど私はとてもその人に会いたかった。その日を楽しみにしながら生きていた毎日は何事も苦ではなかった。早くその日が来て欲しいと、まるでクリスマスを前にした子どものようだった。

 

長く待ち焦がれて迎えた当日は、信じられないほど早く終わってしまった。同じ長さの時間がそれぞれの日々に平等に与えられているのか疑問に感じるほどに。

 

その日はお昼ご飯を一緒に食べて、そのあとフクロウカフェに行った。狭いところに3時間くらいいた。その人はどう思っていたか知らないけれど、私は3時間全く退屈しなかった。怖かったフクロウもかわいく思えた。初めて動物を好きになったかもしれない。その人がいたからなのかは定かではないが、今またフクロウに会いに行って同じようになれるかと言われると、確かに疑問符はつく。

その人は動物がとても好きだ。

動物を前にしたその人を見たのは初めてだったのだけれど、とても素敵だったのをよく覚えている。フクロウと会話をしようとしていてとても可笑しかったけれど、その人なら本当に会話できていそうだなとも思った。

 

フクロウカフェから出て、駅へと向かった。

改札に近づくにつれて名残惜しくなってしまって「水族館に行こうと思っていた」とまた嘘をついた。思い返すほどに嘘で固められてる自分は愚かだなと思うのだけれど、同時に許しを請う自分もいる。許してください。

 

私はその人の優しさにつけ込んで、半ば確信犯的に嘘をついた。その人は予想通り、水族館についてきてくれた。

入場料が高くて申し訳なかったけれど、2人で水族館を巡った。このエイは一生この無機質な水槽の中にいるのか……とか、このイワシたちにアイデンティティはあるのか、とか、自分だけだったら絶対に出てこないような疑問が楽しかったし、刺激的だった。

クラゲを見つめる横顔を今でもはっきり覚えている。とても綺麗だった。

 

水族館を出たらもう日が暮れていた。

晩ご飯になるものを買いたい、と私が言うと、その人も晩ご飯を買っていくとついてきてくれた。

北海道物産展がやっていて、私はいか飯とスイートポテトとロイズのチョコレートを買った。

その人がロイズのチョコを食べた事ないと言っていて、私はその日金銭的に裕福であったので、買って差し上げようとしたのだけれどその人はそれを強く拒んだ。

その人は奢られることを嫌う人だった。

私は余裕がある時は割と奢りたがる人なので、そういう意味で相性は悪かったかもしれない。

お誕生日会の時のお代を自分が出した時も、とても嫌そうな顔をしていた。

その仕返しとばかりに、このフクロウの日の昼食はその人の奢りだったのだが、私もまた奢られるのをあまり良しとしない人間なので、フクロウカフェのお代を出していた。しかしながら、水族館は入館料が高くて奢れず、私は変な負い目というか、多く出させる訳にはいかないという気持ちになっていた。

本筋に戻るが、結果としてロイズのチョコを2つ買い、その人に渡した方の袋の中にお代を忍ばせておいた。きっと家で開けた時怒ったんだろうな。ごめんなさい。振り返ると謝るべきことが多くて笑ってしまう。

 

帰り際、またやってきた改札の前。

朝からその人の鞄とは別にずっと白い紙袋を手に提げていて、何なんだろうと気になっていたのだが、

遅くなったけれど、誕生日プレゼント。

と言って、その人は私にその白い紙袋をくれた。

喜ばない訳がなかった。少し大袈裟に映ったかもしれないが、その時の喜びはそのまま表現したつもりだ。

その日時点で私の誕生日は2ヶ月を過ぎていたし、本当に何の期待もしていなかったから本当に驚いしたし本当に嬉しかった。

開けたのは家に帰ってからだったが、中身はハチミツだった。

私はミュージカルの本番など、大事な歌う場面の前日にハチミツを舐めるのだが、今まで舐めていたハチミツをちょうど切らしていた。

それを知っていたのか知らなかったのか、その真偽のほどは今や知る由もないが、本当にありがたかった。

ハチミツ自体もそうだが、私のために少しでも考えて、時間を使ってくれたという事実が何より嬉しかった。

 

その日はそのまま別れた。

フランスのお土産は何が良いかと尋ねると、

変なもの!と即答した。その人らしくておかしい。

私はその旨を了承して改札をくぐった。

お土産を渡すという口実でまた会える日を心待ちにしながら。

 

 

実はフクロウカフェの日以前に次の約束は取り付けていた。

カラオケに行こうという話である。

期日はフクロウの1ヶ月後に決めた。

期日以外に、私の中で決めていたことがもう一つあった。

これで会うのを最後にしよう、ということだ。

 

会えるということはとても幸せで、私にとって大きなことだし、会える限りは会いたいと思っていた。

けれど、私のふたつ上で学年はひとつ上のその人は、来年の春には就職をしてしまう。そしてそれと同時に、遠くへ行ってしまう。

簡単に言えば私は、私の中に抱えたその人への気持ちを、その人に伝えないまま抱えて生きていく自信がなかった。

かと言って、伝えたらその先どうなるのかということは明白である。もう元には戻れない。

桑田佳祐TSUNAMIで歌った、ガラスのような〜とは、まさにこういうことなのではないかと思った。

私は、私のために今ある温もりを捨てる道を選んだ。

その人は優しいから、きっとこんなことを望んではいないと思っていた。とても聡明な人だから、きっと私の気持ちにも気づいていて、私がその道を選ばないようにしているのだろうとも思っていた。

だけど私は、ものすごいひとりよがりではあるけれど、その道を選んでしまった。選ぶしかなかった。もう少し私が強ければ、他の道があったのかもしれない。しかしそれも今となってはたらればの話で、その域を出ることはない。

 

 

カラオケの日は、驚くほどすぐにやってきた。

私に心の準備をする暇も与えないほどに。

また同じ駅、同じ時間に待ち合わせた。

また同じビルのレストラン街でご飯を食べた。

「王さんの卵とじうどんってすごい名前。名前に惹かれた」といって王さんの卵とじうどんを頼んでいたその人は、その日も出会い頭からその人だった。店頭の卵とじうどんのサンプルにあった汁に浮かぶ赤い点々を、梅ペーストか何かだと思ってたのに辣油だったことに怒っていた。

 

14時ごろだっただろうか。正確な時間は覚えていないが、カラオケに向かった。20時までのフリータイムにした。

その人はいきなり童謡から歌い出した。初めて聞くその人の歌声はとても澄んでいてきれいだった。決して声量があるとか技巧的だとかいうわけではないけれど、心に染み入るような、その人の優しさと強さを体現したような声だった。

私はデビルマンの歌を歌った。その人は私が歌っている間スマホをいじっていたし、やってしまったという気持ちだった。

歌もほどほどに、いろいろ雑談をした。

何の話だったかはほとんど覚えていない。それだけ他愛ない話だった。一つ覚えているのは、その時間がこの上なく幸せで、ずっとこの時間が続けばいいのに、と思っていたということだ。その人の笑顔は今でも脳裏にこびりついたように離れないし、ふとした瞬間に思い出してしまう。きっとこの先も、そういう瞬間が何度も襲ってくるのだろうと思う。カラオケの日のその人は、いつにも増して笑顔が素敵で、綺麗で、何よりその人だった。

 

カラオケも終盤に差し掛かった頃、その人は一つ歌を歌った。HYの366日だ。

CMで感動してしまったのだよ、と語ったその人は、その透き通った歌声で歌い上げた。初めてフルで聴いて、少しうるっときた。けれどこんなところで泣いていては変な人だと思われてしまうから、私はグッと堪えた。

歌っている一部を録画していたので、今も見ようと思えば見れるのだが、とてもそんな気分にはなれずにいる。

なんてCMだったかなぁ、と言いながらスマホをいじり、これこれ!と私にそのCMを教えてくれた。私はすぐにYouTubeのそのCMのページにたどり着いたが、5分という長めの動画だったので、家に帰ってから見ることにしてスマホを閉じた。

 

 

その後お互い何曲か歌って、時間が来た。

駅までは歩いて数分しかなかったから、すぐに着いてしまった。そこへ至るまでの道も、他愛ない話をしていたと思う。詳細な事はほとんど記憶にない。

 

駅の改札前。

その人は私から何かを感じたのか、それとも神があるいはそういった類の超常的な何かが私にチャンスをくれたのか、今思い返しても不自然なほど長くそこに留まった。

まずフランスのお土産をその人に渡した。

私はゴリラの置物を買った。ただのゴリラではない。頭部がまるで宇宙飛行士のようにスノードームで覆われている置物だ。

絶妙な意味分からなさに私は惚れ込んで、直感的にそれをその人へのお土産として購入した。

その人は、変だねぇ〜と言った。

置く場所がないからな、実家に帰ったら飾るよ。引っ越しもあるしね。とその人は笑った。

忘れかけていた、その人が遠くへ行ってしまうという事実を、また突きつけられた心地がした。

おみやげを渡した後は、卒業旅行でどこに行くとかいう話とか、このデパートでバイトをしているんだとか、そういう話を聞かせてくれた。

 

最後の方に、その人はこんなことを言った、

「毎日、今日が最後だって思いながら生きるんだよ。明日とか来週とか生きてる保証もないからね。悔いなく生きたいよね」

細部は違うかもしれないが、大筋としてこういったことを言っていた。

どういった文脈で言っていたのか覚えていないけれど、その言葉は私の胸にずしりと深く重くのしかかった。

もう会える保証はない。

これが最後になることだって十分にあり得る。

私の背中を押すには十分な量の事実がそこにはあった。

 

あったのだけれど、私は言えなかった。

私は、その期に及んで、口に出すことができなかった。怖かった。足がすくんでしまった。

私の背中を押すに十分な事実もそこにあったけれど、それを阻むに十分な幸せもその日には詰まっていた。今捨てなければ、またいつの日か会えるのかもしれない。またあの笑顔に会えるのかもしれない。そんな淡い、愚かな期待が私の言葉を喉の奥に押し戻した。

 

じゃあね、と手を振ってその人は行ってしまった。その背中を見送りながら、私はただ呆然としていた。

一瞬高まった緊張が解けたせいなのか、それとも愚かにも安心をしたからなのか、私の体から力が抜けた。

 

地下鉄に乗り込んで、席に座る。

 

「毎日、今日が最後だって思いながら生きるんだよ。明日とか来週とか生きてる保証もないからね。悔いなく生きたいよね」

 

その人の言葉が頭から離れなかった。

頭ではわかったつもりでいた。だけれど何もわかっていなかった。

スマホに、ひとつのラインが来た。

8月のミュージカルのADだ。

伝えられなかった旨を伝えると、本当にそれで良いのかと返信が来た。

情けない事だが、私はそのADに背中を押される形で、その人に電話をかける事にした。

 

 

電話をしてもいいですか、というラインに対して、

いいけど何?

怖いよ

 

という返信が来た。申し訳なさでいっぱいだった。これは自分のひとりよがりに過ぎず、その人は何の罪もないのにそのひとりよがりに巻き込まれているのだ。

 

「ごめんなさい、そんな大したことではないのでまた今度でいいです。すいません」

そういう文面を一度は打ちかけた。

けれど、私はそれを送信しなかった。

 

電話をかけるために、知らない駅で電車を降りた。

かけてもいいですか?とまた聞くと、いいよ、と返ってきたので、私は電話をかけた。

2コールくらいでその人は出た。

さっきまですぐそばにいた声が、電話の先に聞こえた。

 

 

私は思っていた事、自分の中にあった気持ちを伝えた。

11分と少しの電話だったけど、最初の1分くらいで私は泣いてしまっていた。

格好がつくようなものではないし、とても情けない伝え方だったけれど、その人はちゃんと聞いていてくれた。

私が惹かれた、兄姉のような優しさで。

 

その人は、どこまでも優しかった。

私の気持ちに応えられない、ということだけ伝えれば良かったのに、それを話した後も話を続けてくれた。

ゴリラの置物は飾らないと言っていたのに、今飾るね、と電話の向こうで箱を開けてくれた。

電話の始めに私は、今日で会うのが最後になると思ったから今こうして電話をかけている、というようなことを言ったのだが、これで最後とかじゃないから、と言葉をかけてくれた。

ちゃんと家に帰れるかと心配をしてくれた。

私の気持ちを、受け止めてくれた。

惹かれたその優しさが、その人の素敵な人となりが、とても苦しかった。それはこれを書いている今も変わらない。その苦しさが、私がその人に抱いていた気持ちの大きさ、その人の存在の大きさを語っているようだった。

 

その人は、とても素敵な人だ。

電話を終えた後、改めて私は思った。

私はそんな素敵な人に出会えた事をとても誇りに思うし、同時に、少し恨みもする。

たったの半年くらいなのに、私はあまりにその人に惹かれ過ぎた。その人を追いかけ過ぎた。そして何より、その人のことを好きになり過ぎた。

 

 

家に帰って、いつものように風呂に入って、パジャマに着替えて、スマホを充電器に繋いでベッドに横になってスマホを開いた。

ネットを開くと、YouTubeの画面が出てきた。

HYの366日を、上白石萌歌が歌っているCMだ。

私はそれを再生した。

 

それでもいい

それでもいいと思えた恋だった

戻れないと知っていても

繋がっていたくて

 

こんな歌だっただろうか。

カラオケで聞いた時とは比にならないくらい響いた。泣いてはダメだと思ったときにはもう遅かった。

 

ひとりになると考えてしまう

あの時私 忘れたら良かったの?

でもこの涙が答えでしょう

心に嘘はつけない

 

頬の涙を拭った。拭っても拭っても落ちてくるので、結局のところ意味はないのだけれど、あぁこれが私の答えなのだ。私の心なのだ。そう思ったら余計に涙が出てきた。

 

 

恋がこんなに苦しいなんて

恋がこんなに悲しいなんて

思わなかったの

本気であなたを 思って知った

 

この歌の中の人は一度結ばれているから厳密には違うのだけれど、私はこの歌の中の主人公に自分を重ねた。

もう世に出て長い曲だ。幾度となくそういった自己投影をされてきたことだろう。

それこそ怖いくらい、私はこの曲と共に泣いた。

 

 

恐いくらい 覚えているの

あなたの匂いや しぐさやすべてを

 

話しながら右の人差し指で鼻の下をよくこする人だったな、とか、笑った後無表情になるところがあったな、とか、たった半年だったけれど、私が目にしていたその人のことを思い返してしまった。

とても気持ち悪いと自分でも思うけれど、曲を聴きながら、気がつけば自分の中でのその人を辿っていた。

 

私はこの先、その人以上に想える人に出会う事が出来るのだろうか。

答えは否だろう。

半年。

たったの半年だったけれど、あまりに素敵で、苦しくて、嬉しくて、悲しい思い出だった。

それは、どれほど続くかわからない私の人生で、この先これ以上の出会いは無いと思わせるに十分な思い出だった。繰り返しになるが、私はこの思い出を、この思い出をくれたその人をとても誇りに思う。

 

1時に書き始めたこの文章も、気がつけば9500字を超え、時計は4時40分を回っている。

そろそろ筆を置かなくてはならない。

ここまで読んでいる人が果たしてどれくらいいるだろうか。

いてもいなくても、どちらでも構わない。

 

私はいつも、その人に何かを渡す時手紙をつけていた。便箋3枚くらいの量で、どうってことないことを書き連ねていた。

でも、最後のフランス土産にはつけなかった。

当然、それで最後にするという気持ちがあったからなのだが、今となってはそれで良かったのかと少し思っている。

 

これは、決して届くことのない、その人への最後の手紙でもある。

本当に心から尊敬できて、優しいと思えた、とても素敵なその人への、最後の手紙だ。

9000字もある手紙なんてもらっても仕方ないだろうけど。

 

 

さて、終わらせる感を出しながら長く続けてしまった。本当にここらで筆を置く。

もうほとんど会うこともないだろうその人を想いながら、最後に歌詞の一節を添えて。

 

 

あなたは私の中の忘れられぬ人

全てを捧げた人

もう二度と 戻れなくても

今はただあなた…

あなたの事だけで

あなたの事ばかり

 

 

たまにはこんなクサい日記も許してください。