中京記念は当たったけどトータルで外れた。
バースデー補正なんて無い。そんなバースデー日曜日。
いやはや、21になりました。
もう就活生の歳ですね、歳だけみれば。
明日もインターンの面接があるので、もういよいよ終活の世界に身を乗り出さねばならない、そのことを自覚せねばならない。そんな歳であります。
さて、今日はといえば、バースデーだし競馬ええやろと思い競馬してたら惨敗。
本当に当たらない。中京記念こそ◎クリノガウディーで的中したことだけが救いだった。これからは札幌記念に向けて勉強あるのみ。
そして夕方からはミュージカルの友達ふたりとカラオケ。
かわいい服を頂いた。私のセンスでは到底買えない、良いものを頂いてしまった。
感謝。
2人、歌めちゃウマくて伊達に主役じゃなかったなと再認識。どっからそんな声出るんだよという感じ。終始ハッピーなカラオケでした。延長できなかったのが残念だったけど。
さて、本来はバースデー日記だし、短く簡潔に済ませて終わり!と思っていたら、問題は帰宅後に待っていた。
母上、誕生日の外出を全然快く思ってなかった問題
「誕生日は家族で過ごすものだと思っていたし、そう思ってくれてると信じていた」
帰宅してスープ春雨をすする私に、そう言ってきたのだ。
確かにここまでの20年間、誕生日は家族で過ごしてきたし、なんか誕生日に外に食べに行くとかもしていた。
しかしその言葉を聞いたとき、私は思った。
いや待て、それはおかしいだろ、と。
もし今日いきなり「俺今日出かけるから!」みたいなケースだったらその言い分は通じる。しかし私は7日も前から今日の外出の交渉を行ってきたし、それに対して母上はOKを出したのである。夜にずれ込むかもしれないとわかったのが3日前だが、その時にもしっかり報告をし、都度了承を得た。
それなのになぜこんなことを言われなければならないのか。
私の誕生日なのになんで自分で自分に遠慮しなくてはならないんだ?
そのような思いをすべて母上に伝えた。
すると「ケーキのろうそくもまた別の機会に使うからいいよ。写真も撮らなくていい」と言う。
確かに子供のバースデーというのは大きなイベントだろう。わかる。
祝ってくれるうちが華だし、家族としてこんなにもうれしいことはない。
しかし、しかしだ。本当に祝うつもりでケーキを買ってくれていたのなら、「明日食べればいいよ」で済むはずなのだ。それが今回はどうか。写真などの形式的なものにに拘泥するあまり「お祝いする」という目的が忘れられているではないか。
自分で言うのもおこがましいのは百も承知だが、「祝う」相手を不快にさせてどうするのだ。「祝う」相手を非難してどうするのだ。そう思わずにはいられなかった。
非常に悲しい。
自分の誕生日という祝事の日に、このような形で変に家族で冷え込みが起こることが。
そして、まるで私が家族のことを思っていないかのような母上の言葉が。
母上は、非常にやさしく仕事もよくできる人で、才覚にあふれる人だ。しかし時に感情的になりすぎて周りが見えなくなることがあったり、過去のことを引き合いに出して粘っこく言ったりする人でもある。
私は母上を尊敬し、母上の背中を見て育った。しかしそれはすべてにイエスと答え従うという意味ではない。尊敬しているからこそ、自分が違うと思ったことに関しては「それは違う」とはっきり主張し、自分というものを母にぶつていかなければならないと思っている。
母上は最近私に「どんどん親離れしていく」と漏らす。
これは決して悪いことではないと思う。親から生まれた一人の人間として、親に「こんな人間になりました」とぶつけられる自分を持つことが、何よりの恩返しだと私は考えるからだ。
母上はどちらかといえば情の人なのだが、私はどちらかというと理の人だ。
見るからにぶつかりそうな2人だ。しかしどちらがいい悪いの話ではない。どちらが上だ下だの話でもない。しかし私はこう育った。されば私は「こういう人間になりました」「こういう考え方をします」と胸を張って言うのが、育ててもらった者としての責務であると考える。
さて、21歳のスローガンは
「自分を生きる」
にしようと思う。
誕生日にこうして自分を見つめ直せたのもきっと今年はこう生きろという何かの啓示なのかも知れないな、と感じたので。
早速明日から、というか今日から「自分を生き」てみようと思う。
まずは手始めに母上と和解しよう。ここにこう書き連ねているうちになんだかこっちも少し熱くなりすぎていたかな、とか思ったり。
ま、細かいことは明朝に考えよう。
21歳初投稿もまとまらない分ですいません。日記なのでね。