土俵際競馬愛好会

相撲と競馬と銭湯と映画を愛する男の隠れ家的日記

愛って何だろ 恋って何だろ

愛とは何か。

悩む土曜日の記録。

 

を日曜日に上げる。ごめんなさい疲れ過ぎて寝ました。

加えて体調不良のため、土日合わせての日記。

 

まず土曜の出来事から。

今日は母校の文化祭。

俺ガイルの聖地として名が広まり、今や一般の方にも多くご来校いただいている。ありがたいこと。

 

『ララランド』と『オズの魔法使い』を拝見したが、どちらもとても良い出来。甲乙つけがたいが『オズの魔法使い』が心に響いた。

カカシ役の子の笑顔も素敵だったし、ララランドよりも演出や脚本に工夫があったように思う。結果はどうなっているかわからないが、良い結果であると信じている、

にしても、最近舞台を観始め、加えて演出やら脚本やらの方の事をかじり始めたせいで、昔のような純粋に楽しめなくなっている気がする。

今の自分にしか見えないものは確かにあるが、昔の自分にしか見えないものも確かにあった。そう思うと少し切ない。

 

そして今日のもう一つのビッグイベントが

『SWING』である。

これは渋谷ユニバーサルミュージカルという団体が主催しており、プロデューサーが私のMP19(今年入ってた英語劇団体)の友人であり、また演者の多くも面識があったことから観に行かせてもらう運びとなった。

歌って素敵だな、と思いながら見てた。

普段ドラムやらギターやらをやっている人がピアノを弾いていたり、ピアノ弾いてるイメージしかなかった人がとても綺麗に歌っていたり、とても心にくる素敵なイベントだった。良かった。

 

そのSWINGが終わった後、見知った面々で語った話題。それが今日のブログの表題。

 

日曜は8時半から参宮橋でミュージカルの稽古。

3日連続3時間睡眠というステップを踏んだところ、見事に体調不良。なんとかダンスの振り入れを乗り切るも疲労困憊。

日曜だけの日記を書く気力と時間が取れないために土日合わせての日記とした。

自分の意識の低さ、自己管理能力の低さに辟易する。しっかり休んで立て直したい。

 

さて、土曜夜の愛についての会話での他の皆さんの答えが面白かったのだが、正確に思い出せない上に今眠いので割愛させて頂く。

つまりこれ以降私の愛観を語らせて頂くことになるので、不快に思われる、或いはそれが予測される方はここでご退出いただいて構わない。

 

 

 

 

さて、愛とは何か。

私にとって愛とは

「近くて遠いもの」である。

 

実はこのフレーズ、私が中1から7年間想っていた(?)人の言葉で、当然「愛とは何か」とかそういった文脈から出た言葉ではないのだが、「愛とは何か」と考えた時に不思議と腑に落ちる説明がこれなので、私はこれをひとつ仮の答えとしている。

 

愛という言葉を知らない人などいない。

けれど、愛という言葉を完全に理解している、あるいは手中に収めていると感じている人って案外少ないのではないかなと思う。

 

身近にはあるんだけど、どこか遠く感じてしまう。私にとって愛とはそういうものである。

 

 

だが尊敬する友人の1人は、愛するという行為は、もっとも簡単な行為だと言った。

息をするよりも、歩くよりも、愛することは簡単だ、と。簡単というよりは、難しくないと言った方が適切かもしれない。

 

その友人はきっと私よりはるかに愛の真相、真実に近いのだろうな、と感じた。私は愛が近しいことを知りながらそれを「遠いもの」として遠ざけている。そのように思えた。

 

 

もうひとつ、これは話題には上がらなかったが、恋をするってどういう事なのだろう、ということをよく考える。

あまり恋において良い思い出がない私は、恋愛というものを周りの友人ら、若者らに比べて遠ざけてしまう傾向にあると自覚している。

これは恋なのでは?という感覚も「きっと思い過ごし」といった風に。

遠ざけている、という意味では愛と同じような扱いを自分の中でしているのかもしれない。

 

この前の月曜にお会いした先輩に抱いている感情は恋慕の情なのだろうか、と考える時がある。私は本当にその先輩をお慕いしているし、お話をしている時はとても楽しい。先輩の笑顔は素敵だなぁと思う時もあるし、先輩にお会いする機会ねえかな〜〜とか思う時もある。

でも、果たしてそれは恋なのか?と言われると分からなかった。「それ、好きなんじゃない?」と言われることはあったけれど、単純に性別が違う相手にそういう感情を抱いていただけで、それは男友達に持つそれと区別ができなかった。友人らに感じる「好き」と何ら変わらないものであった。

 

でも最近、私はその先輩の事が好きなのではないか、と思う瞬間があった。

先輩が「相手探し、本格的に取り組むぞ!!」と意気込んでいるのを見て、少し寂しい心地がした。してしまった、と言うべきか。

遠くへ行ってしまうんだ……と、そう思った。

先輩の幸せを祈っているはずなのだ。自分の口では常にそう言っているしそう思っている。

つもりだった。

そこにら寂しさが介在する余地も、道理も、何もないはずなのである。

私は、自分の気持ちの矛盾に気づいた。

恐らくこれは恋になりうる。そう感じた。

 

基本的に私は、恋慕の情というのは「小さいうちに潰しておかねば」という考え方をする。

恋は、言ってみれば「終わりの始まり」であると考えるからだ。悲しい事だが、好きな人とずっと寄り添っていられるほど世の中は甘くない。少なくとも今の私はそう考えている。

せっかくの素敵な出会いを、いっときの恋慕の情で壊したくないのである。

だから私は周りに

「自分はきっと一人で死んでいく。生涯独身を貫く」

と言う。

その言葉の裏には、独りを貫くと言いながらも他者無くして生きられない、ちっぽけな自分がいる。

 

この恋慕のような、不思議な気持ちの種をどのようにすれば良いのか。

このまま育ててしまったなら、きっと苦しい現実が待っているに違いない。

かといって、潰す勇気と器量を持ち合わせているわけでもない。

時の流れるに任せ、その種が風化するのを待つのか。果たして私は、その時の流れた先で「それで良かった」と言えているのか。未だ来ていないと書いて未来なのであるから、そんなの分からないに決まってる。分からないに決まってるけれど、それを決めつける事で都合の良い言い訳を得る自分がいる。先の見えない暗闇が怖いのだ。手すりなき道が怖いのだ。

 

もう何書いてんのかわかんなくなってきた。

私の頭の中の混沌をこれ以上垂れ流すのも無意味なのでここで閉じよう。

 

まとまりがない??いやいや、That's Lifeですよ、えぇ。

 

疲労もあって変な文章書いちゃったな、明日からはまた頑張ろう。