土俵際競馬愛好会

相撲と競馬と銭湯と映画を愛する男の足跡。

2.5次元ミュージカルの隆盛から見る「日本における舞台」

授業を切らないで良かった。

大学入ってから初めてと言っていいくらいのそういう気持ちを、あろうことか他大学で覚えた。

そんな木曜日の記録。

 

 

私は木曜2限に学習院大学で映像芸術関連の授業を受けている。

主たる論題は「メディアミックス」であり、その一例として近年躍進が目覚ましい「2.5次元ミュージカル」が挙げられている。

本日の講義では、舞台俳優である丘山晴己(きやま はるき)さんを講師に迎え、彼の体験を交えた2.5次元ミュージカルから、延いては日本とアメリカの舞台観の差異に至るまでを講演して頂いた。

本稿は彼の講演から私が感じたある種の問題について論じたものである。

論じる、とはいうものの、私には学術論文を仕上げられるだけの知識は到底ない。つまり、本稿は学術的論拠に乏しい。「いち学生の気づき・思い」を冗長に綴ったものであるということをはじめにおことわりさせていただく。

 

 

1.「2.5次元ミュージカル」とは

 

2.5次元ミュージカル」とは、アニメ・ゲーム等の2次元作品を原作として制作されたミュージカルである。

古くは宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』などから始まり、新しいものだとメディア展開によって多くのファンを獲得、紅白出場も果たした『ミュージカル 刀剣乱舞』などが例として挙げられる。これらはほんの一例に過ぎず、無名なものも含めるとその数は膨大である。

 

2.5次元ミュージカルの特徴は、無論「2次元」という我々の生きる次元とはそれを異にするキャラクター・世界を、我々の生きる3次元に立ち上げることにある。

2.5次元ミュージカルのファンは、現前する2次元、というある種矛盾をはらんだ世界に心を奪われる。本来聞こえようもない2次元の息遣いが生で聞こえる。ここに2.5次元ミュージカルの魅力がある。構造としてはAKB48グループが掲げた「今会えるアイドル」とそれによって起こされたブームに類似しているように思える。触れえない、心奪われた遠い存在に「会える」「同じ空間にいれる」ということは強く人を惹きつける。

2.5次元ミュージカルは、メディアとしての終着点を「舞台=ミュージカル」に置かないことが多い。すなわち企画当初からこれを起点として例えば楽曲等の多面的な展開を図る、あるいは自身がすでに企画から展開されたものであるということである。

2.5次元ミュージカルは、斬新な演出などこそ見られるものの「ミュージカルそのもの」としてはその本質を揺るがすような変化をもたらすものではない。

2.5次元ミュージカルは、そういった舞台の内部的要因におけるニュージャンルというよりはむしろ、その展開等の外部的、外向的要因におけるニュージャンルであると言える。

 

2.丘山晴己さんの語る「2.5次元ミュージカルと舞台観」

 彼は、アメリカの芸大に通っていた過去を持ち、大学を出た後はオーディションを受け続けてひたすらに経験を重ねていったそうだ。アメリカはほぼすべてオーディションでキャストを決めるが日本はオファー制、のような面白い話がそれこそ書ききれないほどたくさんあったのだが、今回最も興味を持ったのが「日米間の舞台観の差異」についての言及だった。

丘山さんの話だと、アメリカ人は「作品=演目」に主眼を置いて観劇に臨み、日本は「役者」に主眼を置いて観劇に臨むというのである。

具体的には、アメリカ人は「楽しめる作品を見たいな~」とか、「この演目めちゃいいらしいから見たい」というような「演目主眼」的傾向が強く、対して日本人は「この役者さんが出てるから行く」「推しがいるから観る」というような「役者主眼」傾向が強いというのだ。

これは役者といえど一個人の主観であるから、この件に関しての妥当性については置いておきたいと思うのだが、彼の話で興味深かったのはそのあとに話された話である。

録音もしていないし、自分のメモが頼りであるのが申し訳ないが、要約すると

2.5次元ミュージカルというものが日本に生まれたことで、役者を観に行くという日本人的観劇動機に加えて「演目を観に行く」という米国人的観劇動機が日本人に生じた」というのである。

 

2.5次元ミュージカルは、先述した特性上、俳優を俳優として捉えず、キャラクターとして認識する傾向が強い。つまり、例えばAという役者がBという役を演じている演目を見に行くとき、ファンはAを観に行くというよりBを観に行く傾向が強い。Bとは作品の一部であるから、このタイプの観劇動機は少なくとも役者を見に行くというものであるというより、作品を見に行くといって差し支えないものであるといえる。

ものの、2.5次元ミュージカルには若い役者が多く、彼らが役者として成長していく姿を追い続けるというのもまた2.5次元ミュージカルファンの性質として見て取れることであるので、丘山さんの話すことがすべて正しかったというつもりはないことを付記しておく。

 

 

3.2.5次元ミュージカル由来の「演目主眼的観劇」についての私見

 

私は、彼のいう「2.5次元ミュージカルが日本人に演目主眼の観劇動機=アメリカ的観劇動機を与えた」ということが日本における舞台にとって非常に深刻な問題を孕んでいるのではないか、と感じた。

2.5次元ミュージカルは、1で述べたように2次元をその源泉とする。つまり、純粋に舞台として生まれたものではなく、そのほとんどが二次創作的であると言える。

何が言いたいのかというと、2.5次元ミュージカルはその源泉を2次元に求めると同時に、作品としての人気や知名度の源泉もまた2次元に依るのである。

つまり、ヒットしたゲームやアニメを舞台化・2.5次元ミュージカル化すればある程度ファンはつくし、前述したような米国的観劇動機も生まれる。演目でファンになったキャラクターやそれを演じていた俳優を起点にほかの舞台への興味がわく可能性もある。

 

これは一見して非常に良いことであるように見える。

しかし、上述した一連の連鎖事象は、「舞台で見せる・伝える」ために生まれた舞台作品から生じたそれとは性質において全くの別物である。2.5次元ミュージカルは、その過程において舞台という形態を選び取ったにすぎず、そのオリジンは舞台の上にない。言ってみれば2.5次元ミュージカルは”結果として” ”偶然”ミュージカルという形をとっただけであり、その本質は舞台作品として生まれるべくして生まれたものではない。2.5次元ミュージカルのオリジンは、舞台の外にあるのである。

2.5次元ミュージカルファンがまなざしているのは「舞台作品としての作品」ではなく、「二次元作品の延長にある舞台作品の形をした作品」であり、突き詰めればその向こうにある二次元世界である。

2.5次元ミュージカルがなまじ興行として成功を収めていることもあり、劇場からは喜びの声が上がっていることと思うが、「2.5次元ミュージカルファンは舞台を観ているようにみえてそうでない」ということを忘れてはいけないのである。

 

コンテンツとは消費されるものであり、流行というのは終わるものである。

2.5次元ミュージカル」というコンテンツが消費し尽くされ、流行が終わりを迎えたとき、はたしてそこには本当に舞台が好きな人々、舞台を観ようとする人々がどれほどの数残っているだろうか。

2.5次元ミュージカルに依拠した米国的観劇動機は、舞台に人々を引き寄せているように見えて、実のところ舞台を見る目や心を人々から奪い、舞台から人々を引き離しているのではないだろうか。人々を2次元の力なしに舞台世界へ足を踏み入れられないようにしていやしないだろうか。

私には2.5次元ミュージカルが、舞台世界への架け橋を狭め、壊しているように思えてならないのである。

 

 

 

4.終わりに

思ったことをほぼそのまま打ち込んだのでかなり乱文であることをまずお詫びしたい。

一見して舞台の興隆の端緒とも認識される2.5次元ミュージカルの流行・拡大を、少なくとも私にとっては、そう両手放しに喜んでいられるものではないと感じていた。

今日の講演を聞いてその思いがより増したため、こうしてブログにしたためた次第である。

明日以降はまた変なことを書いています多分。

今日はこれでおしまい。試験勉強しなきゃ。